波乗り三昧

1985〜6年位だったと思う。カタンドアネス島でコテージを開拓したオーナーの一人からフィリピンに行くので一緒に行かないかと誘われた。春なので日本の大会も始まらないので二つ返事で行く事に決めた。最初の写真はフォトグの水口君と数人のプロサーファーとの一週間位の雑誌の取材での時のものだ。その後の三週間は私一人になり、朝から晩まで波乗りをした。
日本人といえば私とコテージのオーナーの一人と二人だけになり、オーナーはコテージにいつも居るわけではなく、現地語のタカログ語との戦いの毎日だった。南の島とはいえ、季節が安定してなく、オンショアだったり強い雨が降ったりで、大潮に当たればリーフがむき出しになり、潮が上げるのを待つ様な日もあった。だが波がフラットになる事は無く、オフショアになればいつでもライトブレイクの良い波に乗れ、沢山テイクオフした。
そしていつ頃からか私一人の海に外国人サーファー一人が加わる様になった。片言の英語でどこの国から来たとか波乗りのキャリアはどの位だとか、他にどんな国で波乗りをしたかなど話した所、彼はオージーでこのポイントの海に向かって左側に家を持っていると言い、妻は日本人だと言うのでもし日本に来たら私に連絡をくれと言っておいた。そのオージーの名はピーターと言った。波さえあれば二人で二週間くらいは波乗りを楽しんだ。
それから何年位か過ぎたか判らないが、私の地元の学校でピーターの妻、サリーが英語の先生をやり、ピーターは伊豆の海で又私と波乗りをする事になった。この家族は下田で二人の子供を授かり、10年以上下田に住んだ。今は夫婦でバリ島に住んでいると数年前に息子のジョシュアに聞いた。ピーター夫婦の元気を願っている。
この時の私といえばオーバーステイをしてしまい、幾らかの罰金を払い、色黒の私がさらに真っ黒になったので、東京駅でフィリピン人と間違えられたのだけは覚えている。やっと日本に帰れた、と思った。

 

Photos:Tomomi Mizuguchi

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2020年 この時の板を手に