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リエントリー

皆様、新年あけましておめでとうございます。本年もウォーターフラッシュサーフボードをよろしくお願い申し上げます。

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1970年代中頃だったと思っている。サーフムービー、フリーライドの中ですべてのサーファーのテクニックやカメラワークの新鮮さ、特にウォーターショットに驚かされ、何十、何百回と見た。
その中で若いイアン・カーンズがリエントリーをバーチカルなポジションで決めて、それを見た時にとても格好良く、俺にも出来ると感じた。が、切り立ったポジションで何回何年も練習したがあんな大男のパワーサーフィングは俺には出来ないと悟った。イアンは190cm以上あり、俺は164cm位で迫力がまるで違うし、波のサイズも違う。WCTのサーファーの真似をしながら上手くなるのも方法だが、自分だけの力強いスタイルを持ちたいものだ。ローカルの先輩の意見を聞いたりするのも一つの上達する道かもしれない。
ハッキリ覚えは無いが、ハワイノースのハレイワでのショットだ。バーチカルでは無くフラットな所で返していてリエントリーともスラッシュバックとも言えない技だが、ハレイワにしてはとても水が青く出ている。25年以上は過ぎた。

Photo:Tomomi Mizuguchi

Photo:Tomomi Mizuguchi

波乗り三昧

1985〜6年位だったと思う。カタンドアネス島でコテージを開拓したオーナーの一人からフィリピンに行くので一緒に行かないかと誘われた。春なので日本の大会も始まらないので二つ返事で行く事に決めた。最初の写真はフォトグの水口君と数人のプロサーファーとの一週間位の雑誌の取材での時のものだ。その後の三週間は私一人になり、朝から晩まで波乗りをした。
日本人といえば私とコテージのオーナーの一人と二人だけになり、オーナーはコテージにいつも居るわけではなく、現地語のタカログ語との戦いの毎日だった。南の島とはいえ、季節が安定してなく、オンショアだったり強い雨が降ったりで、大潮に当たればリーフがむき出しになり、潮が上げるのを待つ様な日もあった。だが波がフラットになる事は無く、オフショアになればいつでもライトブレイクの良い波に乗れ、沢山テイクオフした。
そしていつ頃からか私一人の海に外国人サーファー一人が加わる様になった。片言の英語でどこの国から来たとか波乗りのキャリアはどの位だとか、他にどんな国で波乗りをしたかなど話した所、彼はオージーでこのポイントの海に向かって左側に家を持っていると言い、妻は日本人だと言うのでもし日本に来たら私に連絡をくれと言っておいた。そのオージーの名はピーターと言った。波さえあれば二人で二週間くらいは波乗りを楽しんだ。
それから何年位か過ぎたか判らないが、私の地元の学校でピーターの妻、サリーが英語の先生をやり、ピーターは伊豆の海で又私と波乗りをする事になった。この家族は下田で二人の子供を授かり、10年以上下田に住んだ。今は夫婦でバリ島に住んでいると数年前に息子のジョシュアに聞いた。ピーター夫婦の元気を願っている。
この時の私といえばオーバーステイをしてしまい、幾らかの罰金を払い、色黒の私がさらに真っ黒になったので、東京駅でフィリピン人と間違えられたのだけは覚えている。やっと日本に帰れた、と思った。

 

Photos:Tomomi Mizuguchi

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グッドタイムス

このモルジブの一番南のアトールで、毎日ライトレフトにブレイクする波を見せられ、乗り、楽しみ、極楽に来た様な気持ちになって何日か過ぎた。ボスのアミーンは船の調子が良くないのか様子を見る為にフィヨーレという港にアンカーリングして船を休ませた。その夜は風もなくとても蒸し暑く、ビールを飲んでもなかなか寝苦しかったが、よっぽど疲れていたのだろう、朝が来るまで起きる事はなかった。”ワー”、とか”スゲー”とか言っている声で起き、デッキに出て見ると、アウトリーフではライトに6フィート以上のサイズでパーフェクトにブレイクして行くのが判り、大波の好きなシークエンスサーフボードの蛸さんと朝の一番に入り、2発目にテイクオフしたのがこのショットだ。

とてつもない広い海の中で早朝にたった二人で一時を楽しんで、なんとも言えない幸福感覚を味わった波だった。

 

モルジブの旅前半はこちら

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Photos:Tomomi Mizuguchi

ナイトサーフィン

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Shirahama Photo:Tomomi Mizuguchi

何年かハッキリ判らないが、二十五年位は過ぎたと思う。フォトグの水口君が、今日の夕方から波乗りをしませんか?と言って来て、ああいいよ、と答え薄暗くなって写ったのがこのフォトだ。
当時USサーフマガジンで、ストロボを使った写真が出始め、水口君もストロボを手に入れ試したかったのだと思う。ストロボの光が当たった瞬間とても眩しく、その後直ぐ暗くなりあまり気分の良い感じの波乗りではなかったが、今になってみれば楽しい経験だった。水口君には思い出をありがとうと言いたく、このフォトを出してみた。

初めて

海に関心を持って、初めて波乗りを見て、波乗りを始めたくなりサーフショップで初めてボードを手に入れ、初めて波に乗りボードに立った時の初めての気持ち良さとスリルを覚えて、何年も続けて刺激を忘れられず、生活のリズムにして楽しんでいる人達が私の回りに居る。私も波乗りに夢中になり、続けていたらいつの間にか歳を重ねて居た。今年五月末に初めて波乗りが出来なくなる様な大病をした。だが幸い四ヶ月位休んで、今再び波乗りが出来る体になった。
このフォトは長岡のウェーブプールで、真水の水がとても澄んでいたので親子とダックダイブを楽しんで居る様子をフォトグラファーのダニエルがシュートしてくれたものである。昔のネガを整理していた時見つけたフォトで、とてもなつかしく大切に思い出してみた。時が過ぎてみれば、出来たてのウェーブプールで親子でダックダイブをしたという記録も初めての事だと思った。たかがダックダイブのフォトだが、ダニエルに記録を感謝している。
今まで親子で波乗りの生活の中で初めての経験を何度もした。たとえば南の島でいきなりサメと出くわし恐怖を感じ、ジュゴンやカメ、又イルカが群れで目の前を通り過ぎて行った時の、何かを感じる幸せ感など。誰でも良い悪いの初めての経験はあったと思うが、その様な事を大切に思い、初めての気持ちを忘れずに、波乗りを楽しみましょう。

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ウェーブプール

1990年前後に伊豆長岡に波の立つプールが出来た。東京から白浜に移り住んでプロサーファーだった清水三千江プロがこのプールのインストラクターをつとめながら働いていたので、そのコネで何回か足を運び機械で作った波を楽しませて貰った。
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このフォトは息子啓が小六か中一の頃、親子で楽しませてもらいながらデモンストレーションをしている時、アルゼンチンのカメラマン、ダニエルがシュートしてくれたものだ。初めて波にトライした時は面白く感じたが、やはり自然の波では無いので私はすぐに飽きてしまった。だがこの当時は珍しいという事もあって数年は流行り続くと思ったが、原因は判らないが閉鎖してしまった。
この頃はブームだったのか、色々な所にこの様なプールが出来て、プロサーフィンの大会が行われ、私もプロサーファーとして出場した事や、ジャッジをした事など懐かしく思い出す。
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オーストラリアのオフザリップ

1985年頃だったと思う。オーストラリアのグレン・ウィントンと言うサーファーがサーフボードのボトムに四本のフィンを付けた板で日本のコンテストに出場した。その波乗りのスピードはとても速く、ビーチブレイクをいとも簡単に乗りこなし、日本のサーファーをとても驚かせた。私もすぐに真似をしてフォーフィンを作った事を思い出す。この頃に私のスポンサーの方やその友達と、オーストラリアにフォーフィンを持って行った。その旅は十日間で、ブリスベンからシドニーまで、国道1号だと思う道を走り、有名なサーフスポットを見て波乗りをしたり、サーフボード工場を見学したりして随分と大変な楽しい旅だった。

その旅の中で、日本のサーフィン雑誌をオージーに見せたのだが、そのページはリップをしている写真だった。そうしたらそのオージーはオーストラリアのリップの写真を見せて、日本のリップの写真にはトラックが無いと言い、このサーファーはどこでターンをしてリップをしているのか判らないからこれはオフザリップでは無いと言い切った。トラックとは、サーフボードのレールとフィンが波に残した形跡だと盛んに言っていた。何となく判って居たが、流石にサーフィン大国のサーファーだと思い知らされた。
オーストラリアの雑誌でリップしている写真はたしかにどれも太いトラックが残されていた。

1989年 6'1" 18½" 2⁵⁄³²" トライSQ 白浜

1989年 6’1″ 18½” 2⁵⁄³²” トライSQ 白浜

1990年頃 6'0" 18½" 2⅛" トライ SQ  見高ポイント

1990年頃 6’0″ 18½” 2⅛” トライ SQ  見高ポイント Photo:Tomomi Mizuguchi

カタンドアネス島(フィリピン)

良い波を求めてそのポイントに集まるサーファー達をそれ以上に楽しめる様に宿を作りプライベート感覚でリラックス出来る場所を作る事を目的で、波乗り好きな仲間と現地に長年住んでいた日本人の方とかが意気が合い、お金を出し合ってバンブーハウスのコテージを作った。
私のスポンサーもこの中の一人で、何回もここには行かせて貰った。その時代は珍しいことなので雑誌にも何回か取り上げられた。私は波のバレルに感動し、このポイントでチューブライディングを何十回も味わった。春と秋に数回行ったが、秋の方が波は有り、グアム沖で熱低が出来やすく、うねりも大きくリーフに当たる水の量も多い為に乗る距離も長くバレルも有り安全だ。春のバレルは大きいがシャローになり距離も短く干満の差が大きく波乗りを出来る時間が限られるが、それも楽しい。
このフォトは水口君と春に訪れた時のショットだ。このショットを見るたびに懐かしく楽しかったことを思い出し、関係者の方々にとても感謝している。有り難う。

1985年頃 フィリピン カタンドアネス島 ポイント名 ポララン

5'10" 18'½" 2³⁄₁₆" SQ

5’10” 18’½” 2³⁄₁₆” SQ Photo:Tomomi Mizuguchi

6'8" 18'½" 2'¼" RP

6’8″ 18’½” 2’¼” RP Photo:Tomomi Mizuguchi

モルジブの旅

1998年、DOVEウェットスーツの戸倉氏に誘われて十日間のモルジブツアーに参加する事にした。そのメンバーにシークエンスの蛸氏も加わり、全員で十人の波乗り好きの人達が集まった。まだ日本人が行った事のなかった、モルジブ共和国の中で一番南に位置する、赤道から北に向かってわずか16kmの場所にあるのがガーフアリフアトールで、私達の目的の場所はこのアトールだ。
021首都マーレで入国審査を受け、それから国内線の飛行機に乗り継ぎ南に300km離れたアトールに小さなプロペラ機で向かう。1時間くらいでガーフアトールに着いて、すぐ港にはボートが待っていた。アトールの中をポイント目指して進んで行く。気温は40度位は有るが、船の速度と揺れ具合、風の向きもピッタリで波乗りに来た事など忘れて、極楽気分で熟睡してしまったのを覚えている。
そして波はレフト、ライト共にパーフェクトで、波のサイズも毎日4〜6フィート位は有り、波質と波のサイズに合う板に乗る。船で夜が明け、朝一に紅茶で目を覚まし、まず1ラウンドして朝食になり、食べ終わると又サーフィン。昼飯になり済ますと又サーフィン。3時で一休みして又サーフィン。夕食で上がり一日が終わる。

ボス アミーン

ボス アミーン

ムスリムの国なので酒は無いものと思っていたら、船底にはビール、ワイン、ウィスキー何でも有って、お金さえ払えば飲み放題だったので毎夜波乗り談義でとても盛り上がった。さすがキャプテンのアミーンさんで、この船もアミーンさんの持船でアルコールの販売許可も持っていて、飲ん兵衛にはたまらない助けになった。
さて波乗りの話だが、このアトールで最も危険なポイント(そのポイントの名前はバラクーダだとアミーンが教えてくれた。)で、バレルが出来る所はシャローなリーフが待っていて、ワイプアウトをしたら必ず大小の怪我を覚悟しなければならない。そんな中、蛸氏がディープなチューブライディングを私の前で見せてくれた。私は今でもはっきり覚えている。また戸倉氏の波乗りは無理がなく上手。もう一つ、グループをまとめ皆を楽しませる事の出来る一面も見て、さすが旅慣れたサーファーだ。私も少しは見習いたいと思った。
今回のこの旅をする事で一回り自分が大きくなった様な気がした。モルジブの波がとても気に入り、五、六年続けて行ったが、この旅の波が一番良かった。

(All Photos:Tomomi Mizuguchi)

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ボトムターン バレルでは無いが素晴らしいボトムターンをした蛸氏

後のバレルを見れば危険度がわかる(ボートのクルー@バラクーダ)

後のバレルを見れば危険度がわかる(ボートのクルー@バラクーダ)

特別なポイント

EARTH

Photo:Tomomi Mizuguchi

サーファーなら特別な思い入れを持ったサーフポイントがある筈だ。私のポイントはここだ。ここでサーフィングをする時は畏敬の念を持ち、ただこの波を乗り切る事だけを考えサーフィングをする。このショットは二十年近くは過ぎたと思う。日本の中では大きな波が立つポイントの一つだと思う。このポイントで色々な長さのボードをシェープしてトライ&エラーを繰り返し、サーフィングを楽しみ、この波で育ててもらい、毎年ハワイのノースショアに持って行くボードのチョイスにもシェープにもとてもこの波は私を助けてくれた。この時使用した板は8’6 19⅛” 2³⁄₈” RPだったと思う。今の時代、伊豆のプロサーファー達は5’10″~6’0″位でものすごいサーフィングをしているのを見ると、私も長い間波乗りを続けて来たと思う。